コラム


さまざまな道へ進んだ卒業生や先生方、各方面のプロフェッショナルへのインタビューを掲載しています。

写真 Career Column Vol.9 

  中 奏 なか かな さん (ヴァイオリニスト)


 

〜自分の色を探してみよう〜


まわりが上手すぎて「天空レベル」

桐朋って、国際コンクールで優勝している人や、すでにCDデビューしている人が普通にいて、「この人たち、教えてるのかな」というくらいのレベルですよね。大学一年めは、楽しくてウキウキと過ごしていました。でも二年めになるころから、まわりと自分のレベルに圧倒的な差があることを実感し始めて、それをずっと心の底にモヤモヤと抱えていました。努力すればうまくなるのは分かっていたけど、「超えられない」というのは明らかでした。

卒業したらどうするのかという課題は、在学中ずっと「夏休みの宿題状態」でした。三年生になったら考えよう、四年になるまでに考えよう、夏休みに考えればいいか・・・と思っているうちに卒業をむかえてしまったんです。

そのころの私は、卒業した演奏家がどうしているのかって考えたことがありませんでした。演奏会のチケット収入とかで食べているのかな、などとナイーブに考えていたんです。でもある演奏会で弾かせていただいた時に満席のお客様に迎えられて感動していたところ、その後このコンサートを主催している人たちにチケット販売ノルマがあって、ものすごい努力が背景にあったことを聞きました。好きで聴きに来てくださる人もいるけど、そうでない人も大勢いることに気づいてしまいました。

自分の人生で、やりたくなかったことは、需給のバランスに欠くことでした。礼儀だけで来てくれる人に自分の演奏を聴いてもらうのは、かなりしんどいと思っていました。社会的意義とか収支も関係なく、ただ自分の表現を続ける、というのは出来ませんでした。銀行員である両親の影響もあったかもしれません。「大学出て就職しないってどういうこと?」という雰囲気の家だったんです。

チケットを売らなくてもホールが満席になる、圧倒的にレベルの違う人たちと肩を並べている自分は、全く想像できませんでした。そういう天空レベルの演奏家と自分は違う、ということは在学中から知っていました。

「教育」の持つ可能性

そんな中、本当に私は師に恵まれていたと思います。今考えても実技の久保良治先生には、本当に今でも頭が上がりません。高校生までの私は、自分の演奏について何もわかっていませんでした。本番では、緊張しすぎて何をどう弾いたかわからない状態でした。久保先生に師事したことで、自分の練習を冷静にみて、的確にコントロール出来るようになったんです。

そんな経験から、教育の持つ力の素晴らしさに気づきました。自分の内面や、人生観も含めて久保先生のおかげで変われたからです。それまでは自分の演奏について、全体的にモヤっとした印象しかありませんでした。でも、だんだん理論的にまとめられるようになってくると、自分の表現、技術を言葉で表現できないといけないことに気づきました。ちゃんとロジックを頭で組み立てられるようになると、混乱しなくなるんです。現在の私は、先生のメソッドを受け継いでいることが多々あり、自分の生徒がレッスンで上達しているときは、先生のおかげだと今も感謝しています。

卒業してから、プロオケのエキストラや、ほかのフリーランスの仕事、生徒のレッスンなどでなんとかやっていく中、自分の存在意義について模索していました。めまぐるしく動く時代に、音楽家である前にどんな生き方をしたいのか、社会で役に立つ方法はどこにあるのか、自分が他の人と違うところがあるとしたら、何なのか・・・。

そんな中、自宅の音楽教室で生徒が増えてきたので、もう一人ヴァイオリンの先生に入ってもらうことにしました。そして、その途端にコロナが広がり始め、あっという間にレッスンを全部キャンセルせざるを得なくなったのです。

運が9割だった、ユーチューブチャンネルの始まり

実はその前から、音楽教室の大人の生徒さんに「先生がゆっくり弾いている動画が欲しい」という方がいらして、毎回撮って差し上げていたんです。これって意外と需要が多いのではないかと思いつき、まずは新しい先生に鈴木ヴァイオリン教本の第1巻の解説動画を撮ってもらいました。せっかくお教室の先生として入ってくださったのに申し訳なく、教室の貯金でお支払い出来る範囲でお願いしようと思ってのことです。この動画をユーチューブで配信したところ反応がよくて、コロナも長引きそうだということで、次は10巻までを、私と新しい先生の二人で分担して、毎日撮って出しました。秋までに全部アップロードしたところで、チャンネル登録者が100人程度まで増えました。

ユーチューブはチャンネル登録者数が1000人になると収益が出ます。せっかくなのでそこを目指そうということで、今度はおしゃべりや、アンサンブル動画を載せたりしていくうちにだんだん欲が出て、登録数一万人を目指そうということになりました。そのころ音大受験の様子を3分のコントにして出したのですが、急にプロオケの先生から、「みてるよ」と言われるようになり、気づいたら今の状態になっていました。計画は1割だけ、あとは運だったと思います。

賛否両論あるのは覚悟の上

目指しているのは、クラシック音楽ってどんなものだろうと思っている人に入口を作ることです。プロの演奏に興味を持ってもらって、この人たちがやっていることは意外と身近なんだなと思って、安心して観て欲しいです。

心がけているのは、知る人ぞ知るすごい人たちにリスペクトを込めることです。同じ業界の人をバカにした内容にだけはしないようにしています。人はネガティブなものや不安にさせるものに引き寄せられる傾向にあるので、バズることだけを狙ったら、事実を盛って話しておもしろ可笑しく仕立てたり、話題性のあるような事を発言したりと、いくらでも方法はあるのですが、もちろんそれによって傷つく人がいます。

だからといって、八方美人なチャンネルにはしたくない。だから切り込むところも敢えて作っています。そして、これが唯一の正解ではないこともよくわかっているつもりです。膨大時間を編集に割いて出したあとで、間違いを発見されてがっくり来ることもあります。配信サイトでは、視聴数の初動がとても大事で、ある動画を出したら、それまでになく管理画面のグラフが右肩上がりになっていました。ところが、数日してその内容の間違いを指摘されまして、本当に泣く泣く取り下げました。そして、その後改訂版も出しました。チャンネルを見てくれる人と一緒に作っていくものですので、人の意見を聞くことの大切さも学んだ気がします。

桐朋での大きな学びと、やっておけばよかったこと

何よりも、オーケストラの授業で学んだことは大きかったです。

まず、時間芸術に携わるものとして、遅刻は完全アウトだということを身をもって知りました。1分でも遅刻をすると、全員の前で謝罪をするのですが、絶対にそれは避けたくて何が何でも時間前に着くようにしていました。おろそかにしているとフリーランスではとても活動できなくなる事は、他にもあります。リハーサルや本番での態度や、あいさつなど、譜面への書き込みや譜めくりのタイミング、という基本を教えてくれたのが、桐朋でのオーケストラ授業でした。それから、授業のあとで片付ける習慣が、のちに社会に出てからもステマネさん他スタッフの皆さんへの感謝の気持ちにつながりました。

学生時代に何も知らなかったことに、税金や経理のことがあります。フリーランスで活動していく上で、社会でお金が動く仕組みを知らないと、とても損で、とにかく自分で情報を取りに行かないと何も分かりませんでした。確定申告のことも知らず、適当にやっていたら税務署の人から怒られたりしました。

自分の色をみつける

桐朋では弾けるのが当たり前で、さらに社会に出ると、もっと上手い人がいます。ただ弾 けるだけでは生きていくのは難しく、そこに自分の色をどう足していくかと考えた時に、 今の活動につながった気がします。

その色は簡単には見つかりませんが、人に言ってもらえる褒め言葉、それも身内だけでなく、違う業界や立場の、お互いの接点がない複数の人からの評価に、ぜひ耳を傾けてみてください。私の場合は、コンサートや学園祭でMCをやった時に、違う環境のいろんな人に「話すのが上手だね」と言ってもらった経験が、今につながっています。

今仕事をする際にいつも自問しているのは、今自分のやっていることが下品でないか、これによって誰が傷つくのか、誰が助かるのか・・・ということです。こうしたことについてまた、桐朋で出会った師といつも心の中で会話をしています。そして、社会とより密接につながった音楽の在り方についても模索しながら、これからの活動の方向性もみつけて行きたいと思っています。

2022年2月